母の友人

2023.12.11

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先週の土曜は母の友人のお通夜でした。先月くらいに見谷さんの具合が悪いみたいと母から聞いていましたが、こんなに早くこんなことになるとは思ってもいませんでした。癌でした。8年ほど前、母が癌になったころ見谷さんも癌になりました。あれからかなり時間が経過したので、母も見谷さんも問題ないし問題があってほしくないと思っていました。
通夜には母と自分と妹と3人で向かいました。母と見谷さんは宅建という資格の予備校で知り合い35年の仲です。食器を洗いながら壁に貼った問題をみて勉強している母の姿を今でも覚えています。妹は母のつながりで見谷さんの会社のアルバイトをしたり、一緒に食事にも行ったことがあるそうです。自分は見谷さんの顔も見たことはありませんでした。自分が知っている見谷さんは母から聞いている情報だけで、誠実で頑張り屋さんで頭が良くて気さくで、とにかく母と気が合う人だということだけでした。
見谷さんの会社は福井を代表するような大きな会社で、うちの会社が15年ほど前、初めて大きな県の建築工事を受注した時に、母を通じてお願いし、施工計画書の控えをいただいたことがあります。数百ページを印刷してファイリングしてくださって、本当に助かりました。それを手本として何度見たか分かりません。一度直接お礼が言いたいと思っていましたがこんな機会になってしまいました。すみません。
通夜は大渋滞でした。仕事関係の方を中心にあらゆる方が一堂に会するような感じでした。本当に本当にすごい人でした。そんなたくさんの人の中で母は泣きじゃくりました。今まであんなに泣いた母を見たことがありません。祭壇の見谷さんのお写真を見た瞬間、こらえていたものがあふれ出して、式場の方に支えられてやっと歩く感じでした。階段から落ちないか、車にはねられないか心配でした。
正直自分が死んでもあんなに泣いてくれる人がいるのかなと心配にもなりましたし、見谷さんがうらやましいくらいでした。それくらい母にとって見谷さんの存在は大きくて大切だったんだと改めて知りました。母は今日も見谷さんの話をして泣いていました。
はじめて見た祭壇に飾られていた見谷さんのお顔は知的で優しそうでとても素敵な方でした。心の底からお礼を言いました。お世話になった件、母と仲良くしていただいた件、fuに広告を載せると今でも毎回母に見たよと報告してくれる件、その他ブログの件やいろいろ。
ご主人さんが書かれた手紙にも母がいつも言っている見谷さんがそのまま書かれていました。そして会社の規模は違いますが、母親という存在はどの家庭も変わらないということも分かりました。全くお会いしたことが無いのに本当に寂しいです。そして母はとてつもなく寂しいのでしょう。
見谷さんが時々自分の書いたブログにも感想を言ってくれていたので今回書かせて頂きました。読んでくれていますか。母はしばらく泣いていますよ。もう一度会いたいと言っています。
母の気持ちが見谷さんに届けばいいなと思います。ご冥福をお祈りいたします。