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前回ブログに書いた表彰式のあった名古屋はめちゃくちゃ天気がよくてまぶしくて、クリスマス前ということもあってか、街中がきらびやかに飾られていて、たくさんの人が歩いていました。

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その翌日には福井は予報通りの雪で翌日5時から除雪でした。重機になれない自分も廻りを壊さないように、あとから苦情が無いようにきれいに慎重に・・・肩に力が入って疲れます。お父さんや飯田君は市道も除雪しているのでまだまだ大変です。
今日も自分は4時から除雪でした。みんなは2時からです。かなり雪ありました。

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そして今度は現場に行って除雪して業者さんを待ちました。まとまった雪なので来てくれるか心配でしたが、設備屋さんも左官屋さんも約束通り来てくれました♪感謝です。

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天気が悪くてめちゃくちゃ寒い中、遅くまできれいにしてくれています。
協力してくださる業者さんや職人さんのおかげで何とか年内完成しそうです。
天気がいい太平洋側の工賃も、天気が悪い日本海側の工賃も変わらないんですよね。むしろ都会の方が手間が高い。評価して欲しい。ほとんどが雪や雨の年末に追込みの現場の苦労を。
寒いって辛いです。早く春になって欲しい。まだ冬は始まったばかりですが...
はっきり言います。雪はもういりません!

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今名古屋から帰ってきました。まずは年末の忙しい時にみんな寒い中で仕事している中で自分だけあのような華やかな式に出席して申し訳ない気持ちです。
先ほど鯖江駅に着いて、吹雪の中で駐車場に向かう際にそう強く思いました。
今回、第55回中部建築賞の住宅部門で入賞ということで名古屋の授賞式に、お施主様と設計者の弟と自分で参加させて頂きました。福井県において住宅部門の入賞は20年ぶりみたいで、本当はものすごく、めちゃくちゃ、とてもとてもすごいことなんです。
ただ現場は追込みだし、福井の天候は最悪の大寒波で帰りの電車はどうなるか分からない状態。あんなに楽しみにしていた授賞式も正直気が重いまま向かうこととなってしまいました。
それでも会場でお施主様や弟に会って話をすると来てよかったと強く思えたのと、現地審査に来ていただいた藤吉先生や横山先生に直接お礼も言えて、少しお話も出来たのが嬉しくて、一般部門で受賞された伊藤瑞樹さんにもご挨拶することが出来ました♪

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この賞を受賞できたのはお施主様のおかげはもちろん、設計者の弟の努力と、これまでこの小さな水上建設に仕事を依頼してくださったお客様と設計事務所様全て、会社の社員のみんな、協力して頂いた業者さん・職人さん等々本当に皆さんのおかげです。ありがとうございました。
本当に本当にありがとございます。この会社に入った17年前このような授賞式に水上建設が参加できるなんて夢にも思わなかったです。お父さんとお母さんが積み上げてきた会社に少しだけ恩返しができたように思います。

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そしてもうひとつご縁のような話がありました。先日母の友人としてブログに書かせていただいた見谷組さんも受賞されていて、はじめてご挨拶とお話しとお礼をさせていただきました。大きな会社の社長様ですがそんな感じを一切出さず、無理を言って一緒に写真まで撮っていただきました。こんなこともあるんだなとつくづく思いました。

いろんなことがあって、いろんな話をしながら弟と飲んで帰りたい気持ちでいっぱいでしたが、弟も明日締め切りの設計があって今夜は徹夜になりそうだとのことで、駅前で「またお互い頑張ろうと」言ってすぐ帰りました。帰ると除雪待機命令が出てて一瞬で現実に戻りました。今年も残りわずかですが、明日からも頑張ります。改めて皆様ありがとうございました。

※追記 

福井の住宅がcontemporarydesignnewsというイギリスのサイトに掲載されています。

https://contemporarydesignnews.com/

https://contemporarydesignnews.com/house-in-fukui-city-japan-by-mizukami-architects/

Archzine、webサイトにも掲載されています。

https://afasiaarchzine.com/2023/11/tetsuya-mizukami-architects-private-house-fukui/

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先週の土曜は母の友人のお通夜でした。先月くらいに見谷さんの具合が悪いみたいと母から聞いていましたが、こんなに早くこんなことになるとは思ってもいませんでした。癌でした。8年ほど前、母が癌になったころ見谷さんも癌になりました。あれからかなり時間が経過したので、母も見谷さんも問題ないし問題があってほしくないと思っていました。
通夜には母と自分と妹と3人で向かいました。母と見谷さんは宅建という資格の予備校で知り合い35年の仲です。食器を洗いながら壁に貼った問題をみて勉強している母の姿を今でも覚えています。妹は母のつながりで見谷さんの会社のアルバイトをしたり、一緒に食事にも行ったことがあるそうです。自分は見谷さんの顔も見たことはありませんでした。自分が知っている見谷さんは母から聞いている情報だけで、誠実で頑張り屋さんで頭が良くて気さくで、とにかく母と気が合う人だということだけでした。
見谷さんの会社は福井を代表するような大きな会社で、うちの会社が15年ほど前、初めて大きな県の建築工事を受注した時に、母を通じてお願いし、施工計画書の控えをいただいたことがあります。数百ページを印刷してファイリングしてくださって、本当に助かりました。それを手本として何度見たか分かりません。一度直接お礼が言いたいと思っていましたがこんな機会になってしまいました。すみません。
通夜は大渋滞でした。仕事関係の方を中心にあらゆる方が一堂に会するような感じでした。本当に本当にすごい人でした。そんなたくさんの人の中で母は泣きじゃくりました。今まであんなに泣いた母を見たことがありません。祭壇の見谷さんのお写真を見た瞬間、こらえていたものがあふれ出して、式場の方に支えられてやっと歩く感じでした。階段から落ちないか、車にはねられないか心配でした。
正直自分が死んでもあんなに泣いてくれる人がいるのかなと心配にもなりましたし、見谷さんがうらやましいくらいでした。それくらい母にとって見谷さんの存在は大きくて大切だったんだと改めて知りました。母は今日も見谷さんの話をして泣いていました。
はじめて見た祭壇に飾られていた見谷さんのお顔は知的で優しそうでとても素敵な方でした。心の底からお礼を言いました。お世話になった件、母と仲良くしていただいた件、fuに広告を載せると今でも毎回母に見たよと報告してくれる件、その他ブログの件やいろいろ。
ご主人さんが書かれた手紙にも母がいつも言っている見谷さんがそのまま書かれていました。そして会社の規模は違いますが、母親という存在はどの家庭も変わらないということも分かりました。全くお会いしたことが無いのに本当に寂しいです。そして母はとてつもなく寂しいのでしょう。
見谷さんが時々自分の書いたブログにも感想を言ってくれていたので今回書かせて頂きました。読んでくれていますか。母はしばらく泣いていますよ。もう一度会いたいと言っています。
母の気持ちが見谷さんに届けばいいなと思います。ご冥福をお祈りいたします。